2019年09月12日

郡仙台市長を表敬訪問しました

仙台市の音楽ホールについては、一昨年10月には『仙台市音楽ホール検討懇話会』が発足し、市民会議からも三塚尚可代表世話人(県吹奏楽連盟会長)と今井邦男世話人(県合唱連盟理事長)が委員として参加しました。懇話会では委員による活発な議論がなされ、今年3月に報告書が提出されました。報告書では「誰もが集い、交流する、広場としての文化施設」をホールの理念として掲げており、市民会議が取りまとめた賛同者の皆様からの意見と同様、たんなる文化施設に留まらない、ホールの新しい在り方を示していました。

※賛同者からの意見をまとめたリーフレットはこちらをご参照ください
「”ひろば”としての音楽ホールを!」「1260人のリアルボイス」

ホール建設に向けた具体的な取り組みが進んでいくなか、令和元年9月8日に設立から4年を迎えた『楽都・仙台に復興祈念「2000席規模の音楽ホール」を!市民会議』は郡和子仙台市長を表敬しました。
まずは各団体の音楽を通じた復興支援活動について、郡市長にご説明しました。

(一社)仙台オペラ協会の芸術監督である佐藤淳一世話人は、2011年7月30~31日に東京の新国立劇場で実施したオペラ『鳴砂』の公演を「仙台から元気な姿を発信しようと決意した」と振り返り、被災地でのオペラ公演や年1回の本公演に被災した方々を招待する活動を紹介。また、自身も理事を務める(公財)音楽の力による復興センター・東北と協力して継続している活動にも触れ、そうした経験が自分たちにとって大きな財産であり、周囲の方々の支援のおかげで実現したことだと説明しました。

三塚代表世話人からは「楽器BANK」についての紹介がありました。宮城県吹奏楽連盟は、震災後に各地から相次いだ「楽器を寄付したい」という申し出に応え、2011年4月5日に「宮城県楽器BANK」の設置を全国に発信。続々と集まってくる楽器の仕分け作業は東北高校音楽部が行い、また㈱ヤマハミュージックジャパンや地元の楽器店の協力でそれらを修理・調整し、沿岸部の小中高の団体中心に寄贈しました。寄せられた楽器は2019年時点で2000台を越えており、三塚世話人は改めて支援者への感謝を述べました。

今井世話人は、震災後に街から音が消えてしまったなかで、中学生が避難所となった自分たちの学校の体育館で合唱を披露したことを紹介し、「子どもたちの歌声が大人を鼓舞した」と語りました。歌い続けることが我々の復興そのもの、と語る今井世話人のもと、宮城県合唱連盟は東北各地から1000人が出演した『東北復興合唱祭』を始めとした各地のコンサートに出演し、全国から寄せられた支援に歌声で応えました。

最後に(公財)音楽の力による復興センター・東北の代表理事を務める大澤世話人から、2019年8月までに876回を数える「復興コンサート」や、復興公営住宅での定期的な「歌声サロン」活動など、被災地・被災者の状況の変化に合わせて実施している様々な活動について説明がありました。

各団体からの説明を受けた郡市長は、震災当時を思い起こして「音が奏でられ、歌声が聴こえて、どれだけ励まされたことか」と語り、「仙台は音楽の力に助けられました。これは楽都・仙台の誇らしいところだと思います」として、息の長い活動への感謝を述べました。

最後の歓談の場で、『県民会館の整備のあり方に関する有識者会議』に委員として参加していた佐藤世話人は、県民会館と仙台市のホールそれぞれの在り方について見解を述べたうえで、市が建設するホールには市民の憩いの場となる”ひろば”としての機能が必要だと重ねて伝えました。郡市長は「市のホールは生音を大切にした文化芸術の拠点となれるホールにするとともに、様々な人が集える場にしたいと考えている」とし、「みなさんに大きく背中を押していただいて、前に進めるように努力したい」と語りました。